大阪大学国際遠隔講義事始


辻 正次(大学院国際公共政策研究科 教授)
(tsuji@osipp.)

1. はじめに

 昨年6月にスタートしたタイ国タマサート大学Sirindhorn International Institute of Technology (SIIT)1との遠隔講義も2年目を迎え、6月12日に本年度の開講式をとり行った。昨年は30名であったが、今年は60名が受講している。放送文化基金、国際コミュニケーション基金、電気通信普及財団の3財団から助成を受け、2001年から相手校を探し始め、いくつかの候補大学の中から上記SIITとの提携に踏み切った。
 国際公共政策研究科(以下OSIPPと略記)では、公共政策についての研究・教育は行っているが、実践を伴うものは未だ例が少なく、国際遠隔講義は、OSIPPの可能性を拡大し、国際的な貢献を行うものとして、積極的に取り組むこととした。このプロジェクトの目的は、「日本でのIT研究やその応用の現状を紹介し、タイ国におけるITの発展、特に通信・放送分野での人材育成に協力する」ことである。しかし、OSIPPのみでは、必要な配信技術や、講義科目であるITの技術的な内容について対応できないため、サイバーメディアセンターと情報科学研究科の協力を得て、3部局の共同プロジェクトとして実施した。これまでの経験から、教育内容や遠隔教育実施のノウハウについて、大阪大学での遠隔教育のプロトタイプを構築できたと自負している。 以下、これまでの活動を中心に、SIITとの遠隔講義を紹介する。

2. 遠隔教育の実施概要

 本プロジェクトは、2002年度から2年間の予定で計画され、上記の3財団より資金助成を得た。2002年度は、6月27日から10月3日まで、毎木曜日午後5時(バンコック時間午後3時)から90分の講義を12回行った。2003年度は、6月19日から9月18日まで、毎木曜日午後4時45分から合計12回の講義を行う予定である。
 なお、本講義はSIITで単位認定がなされる正規の講義であり、昨年度はSIITにて試験が行なわれた。
 以下、実施概要を要約する。

 (1)実施組織

 サイバーメディアセンターとOSIPPが中心となり、講義の内容と講師の選定を、またスタッフの編成を行った。その都度SIITの要望も取り入れ連携を維持した。

 (2)システム構成

 米国Polycom社製テレビ会議システムViewStation SPを利用した。これは、本体、カメラ、それにマイクから構成されている。カメラは、対象を広範囲に、かつ拡大して撮影することが可能であり、また異なるカメラアングルを設定しておき、リモートコントロールでそれらを選択することができる。専用マイクロフォンは、無指向で、かつ自動雑音抑制や反響防止機能を備えており、通常電話の約2倍の音声帯域で、双方向同時会話が可能となっている。2002年度のシステムは次の通りである。スピーカが内蔵されていないので、タイ側の教室ではViewStationにTVモニターを接続し、それに内蔵のスピーカの音量を上げて教室全体に届くようにした。映像は、大阪大学側で講義資料をLCDプロジェクタからスクリーンに投影し、講師の顔と一緒に内蔵カメラで撮り、それを画像として伝送した。2003年度では次のように変更した。ViewStationに内蔵のVisual Concert PCというソフトを用いて、カメラ撮りの講師の顔とパソコンに収納された講義資料を同時に伝送し、それをLCDプロジェクタから大型スクリーンに投影した。その結果、画像の質や乱れが大幅に改善された。音声については、タイ側でViewStationにスピーカを接続し、教室全体に届くようにした。講義は、ライブかつ双方向であり、タイから大阪大学の講師に質疑応答が可能である。

 (3)通信回線

 両大学のシステムは、日本国内ではNTTの公衆回線、国際回線はKDDIのISDN(伝送速度128Kbps)、タイ国内ではタイ電話公社の回線に接続することにより結ばれた。また、インターネット放送である阪大テレビを通じて学内に同時放映を行い、さらに全世界に配信された。日本・タイ間での国際インターネット回線やタマサート大学の学内LANの容量が小さいことからインターネットは利用できず、伝送速度は遅いが、講義途中での通信の遮断の恐れがない安定的なISDNを選択した。

3. 講義内容

2002年度:昨年度では、SIITの電子工学専攻の3,4回生32名に対して、ITに関する工学的側面と社会への応用に関する講義を行った。講義内容は以下の通りである。
2003年度:今年度では、SIITの通信技術と情報技術の3コースの3,4回生 約60名に対して以下の講義を予定している。
以上のように、今年度は、モバイル技術に関する講義を増やしているが、これはSIITの希望による。

4. 講義評価

 毎講義終了後、受講生に対し講義の環境や講義内容等に関して、アンケート調査を実施した。アンケートの各質問項目に対し、「Very good」、「OK」、「To be improved」のうち、いずれか一つを選択する設問形式をとり、各質問項目の回答に対して、それぞれ2点、1点、0点を対応させた。したがって、平均点は1である。以下、2002年度での受講生の評価を要約する。

 (1)講義 

 講義テーマや興味の度合い:1.4、講師について:1.1、講義のレベル:1.1、講師の英語力:1.0、講師の説明:1.2、質問とその回答:1.2となっている。各質問とも平均点、あるいはそれ以上であり、全般的に、学生はテーマ、内容とも満足しており、日本のIT事情もよく理解されたと思われる。工学部学生が対象であったが、技術分野と社会科学分野のバランスについても適切とのことであった。

 (2)音声・画像

 これらに関する受講生の評価は、音声:1.0、静止画像:0.9、動画像:0.8であり、音声・画像とも多くの問題点を含んでいた。以下、その内容を紹介する。
音声:当初、Viewstation のマイクの特性が分からず、それを十分使いこなすことができなかった。とくに、講師がマイクに対して、一定の距離から一定の方向で話さないと、タイ側では聞き取りにくくなった。また、講師がマイクを手に持って動く場合も同様の問題が発生した。この対策として、マイクをヘッドセットに切り替えたが、それ以降はタイ側での音声は改善した。大阪大学では、いずれも通常の教室等を使用したが、防音設備は備わっておらず、マイクは各種の反響音を拾い、これが音質を悪化させたと思われる。音声やマイクの問題は、講義を通じて完全に解決したとはいえず、今後も検討する必要がある。
 音声に関しては、受信側のSIITでも問題があった。その原因は、テレビ受像機の内蔵スピーカを用いて音声を教室に流していることである。受講生が多い大教室では、テレビの音声を大きくすればするほど音質は劣化する。今後は、出力の大きい外部スピーカを設置し、テレビ・モニターからそれに直接信号を取り込むこと等を検討する必要がある。
画像:前述のように、2002年度では、講師の顔と資料の両者をひとつのカメラで撮り、同一画面に収めていたため、講師が説明のため動くと画面が乱れる原因となり、静止画像、動画像とも評価が低かった。これに対処するため2003年度では、Viewstationに内蔵のVisual Concert というソフトを用いて、カメラ撮りの講師の顔とパソコンからの講義資料を同時に伝送する方式に改め、画像を改善している。

5. 今後の取り組みに向けて

 遠隔教育は、途上国のみならず、先進国でも現在盛んである。先進国では、欧米の大学は、MITやスタンフォード大といった有名校ですら、積極的に海外に講義を送信している。フロリダ大学のビジネススクールでは、収録設備や専門家を配置し、質の高い講義をインターネットで配信し、それを受講してもMBAが取得可能であり、全米各地に受講生が存在している。途上国では、インドや中国等など高等教育の需要に対して供給が追いつかず、限られた教育資源を有効に活用するために、遠隔教育に取り組まれている。また、AAOU(アジア公開大学学会)等が設立されていて、遠隔講義のノウハウを蓄積、交換する場となっている。
 以上のような世界の状況に対して、日本は決定的に遅れているといってよい。OSIPPはこれまで、千里エクステンションと豊中キャンパスを無線LANで結ぶ遠隔講義を実施し、また、昨年度から一部の講義をビデオ収録し、それをインターネットで配信し、誰もがアクセスできる「デジタル・アーカイブス」を実施している。タイとの遠隔講義は、このような事業を国際協力や国際連携へと押し進めるものである。大阪大学の各研究科は優秀な教育コンテンツを保有しているが、それを利用できるのはその研究科の学生のみである。このようなコンテンツを、本学学生のみならず、内外の大学にも公開することが可能である。さらに、遠隔教育は、講義配信にとどまらず、外国の学生とのクラス討論、共同ゼミ、ディベートなども可能にし、学生の考え方や発想を豊かにしてくれる。今後は、ますますITや情報通信インフラが発展することが予想されるが、遠隔講義の質も教室で行うフェイス・ツー・フェイスの講義との格差がなくなっていく。このような状況を考えると、遠隔講義は、今後、大阪大学がとるべき重要な方向の一つであろう。
 
参考文献
Tsuji, M. D. Kubo and F. Taoka “A Comparative Analysis of International Distance Learning: ISDN VS. The Internet,” in D. Murphy, N. Shin, and W. Zhang eds., Advancing Online Learning in Asia, Hong Kong Open University Press, pp. 201-210, 2002.


辻他「国際遠隔教育のシステム構築と運用に関する一考察」情報通信学会誌、第19巻、第1号、pp.145-73、2002年

1. SIITは、1992年に日本の経団連とタイ産業連盟によって、国際機関や国際企業で活躍できるエンジニアを育成する目的で設立された。この趣旨に添って、教官は各国の出身者で構成され、講義は英語で行われている。1996年に国王によってSirindhorn International Institute of technology (SIIT)と名付けられた。Sirindhornは、科学教育に熱心な王女の名前である。2002年入学の新入生は約1,600名である。