コンピュータ支援外国語授業について思うこと

Torsten Schlak (言語文化部 ドイツ語教育講座) 

 コンピュータ支援外国語授業は、潜在的に多くの可能性を持っている。WWWは最新の地誌情報や言語情報をほとんど無尽蔵に蓄えており、同時に教授用素材や学習教材をここに公開する可能性も持っている。電子メールやチャットを用いると、学習者と教師、学習者同士のコミュニケーション、授業内、授業外でのコミュニケーション、さらにはネットワークで結ばれた世界中の教室とのコミュニケーションが可能になる。テキストや画像、映像、音声は、学習意欲を刺激するマルチメディア教材に加工することができる。文書作成編集プログラム、HTMLエディタ、電子辞書、プレゼンテーションソフトは外国語による作文や、公開を前提に作られる作品を制作する際に有効な道具となる。コンピュータ支援外国語授業はしかし、低い学習意欲や学習成果、過大クラスに対する夢の兵器や特効薬ではない。他の学習メディアと同様にコンピュータにもいえることだが、メディア自体が役に立つのではなく、授業にどのように組み込み活用するかが大切である。このことはひょっとしたら特にコンピュータに当てはまることかもしれない。

 外国語教授法研究はずっと以前から、効果的で動機付けを与えるような授業コンセプトを発展させてきた。学習者主体、自立学習、異文化学習・理解、行動中心学習、プロジェクト作業、グループ学習、内的分化、DACH(ドイツ語圏各国についての地誌文化研究)、リーディングストラテジー、創造的作文は、外国語教授法研究の中の重要な概念の一部に過ぎない。これらのコンセプトは、コンピュータ支援外国語授業の中でも失われはしないということに注意しなければならない。コンピュータ支援外国語授業がもっぱら、前後関係のない文の復唱や意味のない文法練習からなっていて、学習者がひとりでコンピュータに向かって作業しなければならないのであれば、最新のコンピュータや設備を備えていても、再び石器時代の外国語授業に逆戻りする。過大クラスについては、コンピュータ支援授業の場合であっても警告しておきたい。もちろん学習者にひとりでコンピュータに向かわせ、任意のソフトウェアで学習させることもできるが、そのような授業は受けるに値するものではない。数え切れないほどの座席のあるコンピュータ教室は、私の意見ではこのような視点からあまり意味のあるものではなく、非生産的であると思われる。

 ところで私は「コンピュータ支援授業」という概念を非常に意識的に使っている。これは、コンピュータが支援の道具であるということを明らかにさせるためである。技術的な側面が授業を支配するということはあってはならない。コンピュータは教師を支援するものであり、教師に取って代わるものではない。教師の役割は、コンピュータ支援授業では非常に重要である。教師は学習助言者、学習マネージャーとなる。教師は個々の学習者の問題点に寄り添う時間をより多く持ち、必要なところで補助・援助を行うことができる。

 コンピュータの持つ大きな潜在能力が、阪大のドイツ語授業ではうまく利用されている。学習者は小グループで、インターネットを使ってバーチャルドイツ旅行を計画したり、それについてのホームページを作成したりする。また、地誌文化情報を検索したり、寸劇を作るための素材を集めたり、たとえば環境保護というようなテーマでプロジェクト型の授業を行ったり、これについてのプレゼンテーションをPowerPoint を用いて行ったりしている。学習者は徐々に教師の役割をするようになる。小グループで他の学習者にコンピュータ上で自ら選んだテキストを示し、教師としての学習者が文法的な事柄についてもそのテキストの前後関係に絡めながら紹介する。学習者は自分自身について、生活について、自分の興味あるものについて文章を書き、これをWeb上で、阪大でドイツ語を学ぶ後輩のために提示する。学習者は個々の教員のWebページ上で授業の内容や授業プラン、課題についての情報を得る。Webページ上には、たくさんの役に立つオンライン情報や補助教材などへのリンクもある。興味あるコンセプトや授業モデルについてまだまだあげることができるが、コンピュータ支援授業がいかに多様性に富み、阪大でも多くの試みがおこなわれているか、お分かりいただけるだろう。コンピュータだけでは授業の質を保証できない。必要なのは創造的で教授法の訓練をつんだ教師である。大阪大学には幸いなことにこのような教師が多くいる。