情報教育用計算機システムの利用者の声

TA(Teaching Assistant)の声

「情報活用基礎」に求められるもの

宮本 友介(人間科学研究科 M2)

 昨年度より、人間科学部の「情報活用基礎」のティーチングアシスタントをしています。周知の通り、「情報活用基礎」では1回生を対象にコンピュータリテラシー 教育をおこなうことを目的としていますが、最近感じることは、私が受講生としてこの科目を取っていたころとは「コンピュータリテラシー」という言葉が指す意味もずいぶんと変わってきたのではないかということです。
 今は昔、私が「情報活用基礎」の受講生だったころには(そんなに昔じゃないんですけどねぇ…)、WWWや電子メールが普及し始め、コンピュータは情報収集の道具として脚光を浴びていました。当時の「情報活用基礎」に求められていたものは、エンドユーザとしてコンピュータを使いこなすことは第一として、受講生が探索的な情報のブラウジングから自発的・効率的な情報検索へと移行する能力を身につけることだったような気がします。いわば、情報処理(情報活用)能力とは、情報収集能力と同義だったのではないでしょうか。
 しかし、現在ではコンピュータがハードウェア面での飛躍的な発展を遂げたことに加えて、情報技術を取り巻く社会も大きく変容してきました。とくに、今年の夏に開かれた先進国首脳会議では、情報技術革命の推進が中心的な議題として扱われたことも記憶に新しいと思います(ちなみに、この文章はサミット開催の直前に書いています)。情報技術が単なる便利な道具にとどまらず、世界を動かすほどの力をもってしまったのかと思わずにはいられません。こうした現在(これから)の社会では、情報は収集するだけでなく、発信したり、保護したり…といった技術や能力が必須となってくるでしょう。そうした中で「情報活用基礎」で求められるコンピュータリ[kyoudou011]テラシーも、どのようにして情報を発信・共有するかといったことに重点が置かれるようになったのだと思います。
 こうしたことを受けてか、本年度の人間科学部の「情報活用基礎」では、小人数のグループごとにプレゼンテーションをおこなう演習が課題として採り入れられました。受講生は与えられた課題に関してWebや文献で調査し、スライドを作成し、授業中に発表して互いに評価し合います。この試みは、受講生が情報の収集・発信の能力を実用的に身につけることができるという点で、非常に画期的であると感じます。私も1回生の頃にこんな授業が受けられたらよかったと、羨ましい限りです。今後はこうした試みをさらに発展させて、「Webを活用したグループ学習システム」みたいなものを構築し、「情報活用基礎」の授業で「情報をどのように共有するか」ということが体験できるといいですね。

コンピューターのナマっぽさを大切にしよう

小森 政嗣(人間科学研究科D3)

情報活用基礎のT.A.を担当してかれこれ今年で3年目になる。その間に、永らくおなじみだった「情教センター」が「サイバーメディアセンター」に衣替えした。そのネーミングセンスはともかくとして、たしかにこの名称の変更にはここ数年のコンピュータを取り巻く状況の変化を感じる。コンピュータはそれ自体が学ぶべき対象だった時代から、メディア(媒介)にその役割を完全に変えてしまったようだ。僕ら一般人が普段接するコンピュータはもはや小難しいものではなくて、ピンク色のクマが住んでいたり夜通し馬鹿話を繰り広げる相手であったりするわけだから、隔世の感がある。
 思い起こせば、大学に入学したときちょうどNeXTの初年度だった。筐体のデザインもクール!アイコンも美しい・・・。「凄い機械やなぁ」とは思ったのだが、当時の僕にとってコンピュータは、「レポートをきれいに清書する装置」程度の認識しかなかったのだ。申し訳ないが文系学生の僕のコンピュータに対する認識はこの程度だったし、人科の多くの学生もそうだった。
 けれど、インターネットが普及してからというもの、僕みたいなコンピュータに疎い学生でもコンピュータはすっかり生活の一部分になってしまったなぁとしみじみ思う。それと同時にコンピュータ関連のトラブルもインターネットに関係するものが増えてきた。人科の情報活用基礎の授業でも、チェーンメール、ハッキング、個人情報漏洩などの問題について折りに触れて注意を促しているが、このようなネット上のトラブルは、単純に言えばコンピュータを通して人と人が接するために起こるトラブルである。
 「ネット世界では直接、顔が見えないからケンカなどのトラブルが起こりやすいのだ」ということがよく言われる。たしかに僕らは普段さまざまな非言語的な情報、つまり表情や顔つき、まなざし、ジェスチャー、姿勢の動き、イントネーションの変化や間などを利用しててコミュニケーションしているのに、eメールにしても掲示板BBSにしても主にやり取りされるのは文字情報だけなのだ。一説によれば、現実場面で人と人が対面してやりとりする情報のうち、なんと全体の70%を非言語的な情報が占めるらしい。ネット上では、その非言語的情報が欠落する上に匿名性も加わって、誤解やすれ違いが生じてケンカや誹謗中傷やストーキングが現実世界よりも起こりやすくなるということらしいのだ。
 たしかにそういう面もあろうかと思う。メールでのやりとりに慣れてないうちは言外の意図が伝わらないためにとまどいを覚える人もいるだろう。しかし人間というのはなんとかして非言語的な情報を文字情報に盛り込もうとするものだし、案外それをうまくやってのけてしまうものだ。下に例を挙げてみた。言語内容は同じでも伝わる「意味」は変わる。
 例1: お久しぶりです。小森です。また飲みに行きましょう。
 例2: お久しぶりです(爆)小森です。\(^o^)/!!!また飲みに行きましょう♪
 例3: お久しぶりです・・・・ 小森です・・・・ また飲みに行きましょう・・・・
 改行のしかた、句読点の振り方、顔文字の使い方なんかには、本来人間が対面しているときに伝えたであろう非言語的な情報が盛り込まれているのだ。メールを頻繁にやりとりする人なら分かると思うが、メールの書き方一つに書き手の人柄や態度というのは非常によく表れるし、どんな表情でこの文章を書いたか、どんな速度でどんな間をとって話しているかといったことが手に取るように伝わってくるものなのだ。
 決して顔文字を奨励するためにこんなことを書いたのではない(顔文字を嫌う人も世の中には大勢いる)。僕が言いたいのは、直接はディスプレーを見ているとは言え、ネット上で接している相手はやっぱり人間なんだ、と言うことである。メールの行間やBBSでの語り口調に対して感じるようなナマっぽさは、嘘っぽい作り物のバーチャルリアリティーなんかよりずっとリアルだと僕は思うし、そのリアルさを常に感じておくことが
ネットでうまく生きていくためにには必要なことだと思う。
 今年度の情報活用基礎の授業では初めてコンピュータを用いたプレゼンテーションのカリキュラムが組まれている。これもコンピュータを媒介にしたコミュニケーションの一つのかたちだろう。メールにせよプレゼンソフトにせよ、せっかく人と人とをつなぐいい道具があるんだから、学生のみんなにはうまく使いこなせるようになって欲しいと思っている。うまく使いこなすためには、コンピュータを恐れず、溺れず、なによりも伝える相手のことをきちんと認識する事が一番大切だと思う。

法情報学のTAを担当して

重 井 輝 忠(法学研究科D3)
1.はじめに
 法学部には「法情報学」という科目があることを、皆様はご存知でしょうか。私は、ふとしたきっかけから、大学院に入って以来この数年間、この「法情報学」という教科のお手伝いをさせていただくことになったのですが、それまでは、コンピュータに関しては全くの素人、初歩的な操作もままならない有様でした。
 (旧)情報処理教育センターに学生が自由に使えるコンピュータシステムが導入され、誰もが容易に使用できるインターフェースを提供する云々というニュースを観たときに(当時は大学にこのようなシステムが導入されるという話題自体にニュースバリューがあったのです)、正直に申し上げますと、大学とは恐ろしく難しいことをしなければいけないところだ、という印象を受けたことを覚えています。今から思えば、当時、なぜコンピュータを使うことに対して、ある種の恐怖感に似たものを抱いたかははっきりとはしません。一度覚えてしまうと、そこに到るまでの困難の過程が見えてこない、たとえれば、自転車にのれるようになった刹那、なぜそれまで自転車に乗れなかったのかが判らないようなものです。
 コンピュータに親しみを持つ、あるいは使いこなせるようになるまでに各々乗り越えなければならない障壁を、みずからの過去を振り返っても明確なかたちで認識することができないという点は、たとえTAという立場ではあっても教える立場にあるものとして、深く思い悩むところであり、常に反省を迫られます。もっとも、私は法情報学やリテラシ教育における指導方法等についての専門家ではありませんので、いかなる方法がもっとも好ましいかといった議論をここでするつもりはありませんし、かりに述べたとしても全くの見当違いに終わることでしょう。そこで、ここでは、日頃「法情報学」の講義を通じてTAの立場として感じるところをいくつか述べることにしたいと思います。

2.受講態度と自由使用
 まず、法情報学と固有の関わりをもたない、一般的な事柄について触れることにします。
 携帯電話は、パソコンと並び、情報(通信)機器の主翼となりつつあります。法情報学の受講生の多くもご多分に漏れず、携帯電話を所有しているようです。さすがに講義中に「携帯を鳴らす」輩はいないのですが、講義中にひたすら携帯をいじる学生が、とりわけ今年度の講義から目に付くようになりました。これまでならば、講義中に手が空いた(と自分が考えた)場合などにはWWWを閲覧するかメールのやり取りをする者が大多数だったのですが、今では携帯からメールを送受信して時間をつぶしている姿が多く見られます。 はじめ、携帯とディスプレイに映し出されたメールのウィンドウを見比べる姿を見て、たしかにこのような使い方もあるのだと感心していましたが、しばらくすると、どうやら携帯に気をとられて結果的に講義内容に遅れる学生が多いことに気づきました。これまででしたら、このような意味で講義内容に遅れをとる受講者は、欠席や遅刻(や居眠
り)による者と、WWWやメールに忙しく、遅れてしまう者とがいたように思います。前者に属する学生は、申し訳なさそうに今何をやっているのかを尋ねる学生が多いのに比べ、後者に属する学生は、一般的な傾向として、少なくとも形式的には出席しているということもあるのか、内容がわからないことを至極当然のこととして質問してきます。ここで新たに後者に属するものとして、携帯にとりつかれた挙句わけがわからなくなった学生が加わることになったのです。
 基本的には、実習系の講義に参加するという学生の自覚が欠けていることが直接の原因といえるかもしれません。前者の類型がちょうどあてはまるでしょう。しかし、とりわけ後者の類型については、よくよく考えてみますと、端末にそれだけの自由度が与えられているからだといえなくもありません。教育用システムとしての端末であるにもかかわらず、メールアカウントはもらえる、インターネットへの接続は無料、WWWは見放題となれば、講義など聴かずにそちらに走ってしまうのは当然であり、入学して間も ない学生にこのような意味での講義に対する自覚を求めるのは酷でしょう。もっとも、自由な使用環境が与えられる結果として、誘惑に駆られ、講義内容が理解できない者が出てきたとしても、最終的には受講者本人に不利益が生じるだけでしょうから、大きな問題とはいえないかもしれません。しかしながら、結果的に受講者本人がこのような自由度の高いシステムを無料で利用しているということに何ら疑問を抱かないのであるとすれば、はたして憂慮すべき事態であるといえるのではないでしょうか。法学部の学生であれば尚さらです。一般のユーザが対価を払って機器を購入し、サービスを受けているということを熟慮した上で、何故自分がこのような自由なシステムを使えるのかをよく自覚すれば、講義中に携帯で遊んだり講義とは関係のないメールやWWWの閲覧などはできないはずです。いいかえれば、このような自覚を促す教育が前提とされて、初めて自由な使用環境を与えられるべきではないかということです。
 現在のような自由度の高いシステムは、講義(教育)にとって必要条件ではありません。入学当初の受講生にとってもこのような自由なシステムを利用することに対する自覚があるわけでもありません。さらに、WWWの閲覧やメールの送受信という行為それ自体は違法でも有害でもない以上、利用する間に自由使用に対する自覚が身に付くとは考えにくいでしょう。単に自由な使用を許すというのではなく、ユーザに対して自由な環境に対する自覚を促すような教育を前提とした、より弾力的なシステム運用が必要なのではないでしょうか。

3.法情報学
 次に、「法情報学」という講義そのものに関して述べたいと思います。
 現在、法学部1年次配当の専門科目として、「法情報学I」と「法情報学II」が開講 されており、Iでは主としてリテラシ教育が行われ、IIでは法律問題を含む具体的な事案を題材として、事実や法律問題についてグループごとに調査、報告させ、その過程で コンピュータを利用するという形態が採られています(法学部学生に対しては、「情報活用基礎」は開講されていません)。法情報学Iにおいても、題材については可能な限り法律に関係するように工夫されています(受講者に対するアンケートの中でも、もっと法律に関係した題材を扱ってほしいという要望も散見されました)。しかしながら、1年次配当(前期)のため、専門的な法律知識が必要となる素材を選ぶことは事実上困難です。
 では、「法情報学」とは、どのような分野なのでしょうか。残念ながら、いまのところ「通説的」定義は存在しないようです(法情報学について言及するホームページとして、本学法学研究科法情報学研究室〔http://www.law.osaka-u.ac.jp/~kikuo/〕、ならびに個人的リンク集〔http://www.law.osaka-u.ac.jp/~kikuo/persolnk.html〕の法情報学の項にあげられている各ページを参照のこと)。知的財産権法など、情報に関する法律を取扱う「情報法」とは異なります。また、単に法に関係する情報をどのように扱う(べき)かを論じるだけでもありません。さらに、コンピュータが必須の領域かといえば、そういうわけでもありません。
 私も、この数年間この講義をお手伝いさせて頂いておりますが、残念ながら、明確な答えは持っておりません。ただ、まったくの個人的な意見ですが、おそらく、一般人としてではなく、法学の専門家として法とそれにまつわる法律的・社会的事象にどのように接し、対応すべきかを「情報」の側面から研究する分野として位置付けることができるのではないかと考えております。いいかえれば、憲法や民法といった固有の法領域にとどまらず、あまねく法に関係する様々な事象を「情報」を切り口として分析・検討す る分野といえましょう。また、教育という側面から見た場合、法情報学も法律学の一部である以上、法的思考の育成に資するものであるべきことはいうまでもありません。その意味では、一見、法情報学の講義の中でコンピュータリテラシを取扱うのは筋違いとみえるかもしれません。しかしながら、近年の情報化の波は、やはりコンピュータなくしては語ることはできないでしょうし、「情報」を切り口として捉える以上は、今やコンピュータについての基礎知識の習得を避けて通ることはできないでしょう。コンピュータリテラシ教育も、現代的「法情報学」の重要な一角を担うものであるということができると思います。ちなみに、単にコンピュータを使うだけで法律学が法情報学にならないことは、これまで述べてきた趣旨から明らかでしょう。
 さて、法情報学をこのようなものと考えた場合、現行の法情報学IIは、いささかコンピュータに依存した法律学の色彩を感じてしまいます。もっとも、法学教育論の視点から法情報学をみた場合には、講義の形態としての法情報学の応用事例と考えることはできるでしょう。また、情報収集や分析もまた法情報学の重要な一部ではあります。しかしながら、前者の主体は「教える側」であって、学生ではありません。また、情報収集や分析の技術それ自体は、従来の法律学においても存在しており、手段としてのコンピュータが附加されたというだけでは、改めて法情報学の名称を用いる必然性は乏しいように思います。
 もっとも、受講を希望する学生が、法情報学Iでは240名強、IIは100名弱と多く、大勢の学生を対象に行わなければならない現状からすれば、今の講義形態は最善のものかもしれません。ちなみに、大学院における法情報学IIに該当する講義では、受講人数も少ないこともあり、論文の書き方を素材としつつ、情報分析の側面が前面に押し 出された、一層「法情報学」の独自性が現われる内容が盛り込まれています。こうした内容は、長年の法学部における法情報学の講義の中で形成されてきたものですが、これをまとめられた書籍として、加賀山茂=松浦好治〔編〕『法情法学―ネットワーク時代の法学入門』(有斐閣,1999)が出版されています。

4.おわりに
 以上、TAの立場から、日頃感じていることのごく一部を述べさせていただきました。情報処理教育センターが、新しいOSの導入とともに「サイバーメディアセンター」の一部門となりました。また、今後、法律学においてもコンピュータがより身近で、必要不可欠のものとなっていくことでしょう。教育用のコンピュータシステム、法情報学、ともにあるべき姿を模索すべきという点では同じであり、私自身、TAという立場ではありますが、今後も少しでもお役に立てればと考えております。