授業担当教官の声

情報処理教育を担当して


高木 達也(薬学研究科 応用医療薬科学専攻)

1.はじめに

 私は昨年度、初めて大阪大学の学生さんに対する情報処理教育を担当しました。講義名は「情報系演習」。対象は薬学部の2回生で、さらに今年度、共通教育の「情報活用基礎」を担当することになりました。ご承知のように、今年度はサイバーメディアセンターの教育用計算機システムとしてLinuxをOSとするシステムが導入された最初の年ですので、両者ともに内容から考え直す必要がありました。まだまだ情報処理教育担当教官としては新米ですので、以下は、新米担当教官の戯言に過ぎないかもしれませんが、しばらくお付き合い願います。また、大阪大学以外の大学では、話がずいぶん異なる場合もあるかと思います。以下はあくまでも、大阪大学における例ですので、その点、ご了承願います。

2.何を教えるのか?

 恐らくもう言い古されたことだと思いますが、これが、「生物学」だとか、「物理学」だとかでしたら、学生さんが大学入学までに培ってきた知識や経験がほぼ同一であるために、「どんな基礎があるか」「何を知っているはずか」「実際に何を知っていて、何を知らないか」といったことはこちらにも理解できますし、予測がそう大きく外れることはありません。しかし、大学入学試験には、少なくとも大阪大学では「情報処理」と言う科目はありませんから、「情報処理」に関しては、例えば生物学で言えば、大学学部卒レベルの知識は悠にある人から小学生卒レベルの人まで、学生さんの知識レベルは広く分布しています。この集団を教えると言うのはなかなかもって容易ではありません。
 さすがに最近、コンピュータなど見たこともないし、マウスに触れたこともないと言う人はあとを絶ったようですが、例えば、Linuxをよく知らないと言う人はもちろん、WWWで何かを検索する時を除いてキーボードなどあまり触ったこともないと言う人も珍しくありませんし、かと思えば、PerlやVBのプログラミング程度は昼飯?前と言う人も珍しくありません。後者の人にとっては、「さぁ、これからテキストエディタを使って漢字やカタカナを入力しましょう」などと言った時点で、「じゃぁしばらく寝てようか;どっかのWebサイトを覗いて遊んでよう」と思ったとしても当然のことですから、責めるわけにはいきません。と言って、いきなり、「多重比較のためのプログラムをC言語で作りましょう」と言うわけにもいかないですから、大変です。
 大阪大学薬学部の場合はと言いますと、まず、すべての学生さんは共通教育で「情報活用基礎」という科目を履修します(必修科目になっています)。ここでは、コンピュータの基本的な使用法としてWWWページの作成、テキストエディタ、日本語入力、ワードプロセッサー、ドロー系ソフト、表計算ソフトの使用法などについて学びます。この後、半数以上の学生さんが、選択科目として「情報系演習」を履修します。ここでは、OSの概要や簡単なプログラミング及びそれによる統計計算などが対象となります。書生論かもしれませんが、(大阪)大学における情報処理教育と言うのは、少なくともいくつかの学科を除いては学生さんのレベルの平均化が目標なのだと言うことができると考えています。この点こそ、例えば、「量子力学」だとか、「分子生物学」だとか言う科目が基本的に知識レベルの向上を目標としているのと比べて大きく異なっている点ではないでしょうか。もちろん、なかには「量子力学」や「分子生物学」に詳しい学生さんもいないわけではありませんが、やはり大学の講義のレベルとは隔たりがある場合がほとんどで、CGIをバリバリ書いている学生さんにテキストエディタの使い方を講義すると言ったような事態は起こっていません。情報処理教育科目と言うのは、一部の例外科目・例外学科を除いて、『他の講義課目とは目標の性質が異なる』という点から出発しないと、話が始まらないように思います。

3.話をはじめて…

 と、偉そうなことを書きましたが、それでは目標が異なることを認識したところで、何が始まるのかと問われますと、答えに窮します。が、私は現在、以下の2点が存在するだろう/存在するかもしれないと考えています。敢えてやや大胆な話をしますと、

1) (少なくとも薬学部の場合)

「情報活用基礎」は、他の科目と異なり、採点に「到達レベル」を用いるべきではないだろう。そもそも前提となる知識が異なることを許容しているのだから、到達レベルが異なるのは当然と思われる。

2) (少なくとも薬学部の場合)
「情報活用基礎」は、必修科目である必要があるのだろうか。「こんな講義受けるくらいなら、教える側に回ったほうが退屈しなくてすむ」と言う人にとって、押し付けがましいだけではないのか?
「少なくとも薬学部の場合」と書きましたが、まぁ、半数以上の学部学科の事情も大きく異なるものではないと予想します。ただし、2006年度以降の新入生は、すべて高校で情報科目を履修していますから、状況はかなり変化することも予想されますので念のため。もっとも、入試科目に「情報」が入り込んでこない限りは、まだしばらくの間、そんなに実情は変化しないようにも思います。
 さてまず、1)に関しては、取りあえず現在のところ、あまり異論が見られないのではないかと思います。とは言っても、それではどうして採点すればいいのでしょうか? 「努力点」だけと言う見方もできるかもしれませんし、それでは、当初から詳しかった学生さんに不公平だと言う見方もできるでしょう。要は、この科目において100点満点で点数をつけると言うことそのものが困難なのではないかと思えてきます。あるいは、「合否」だけで十分なのではないでしょうか。
 もう一つ、「情報活用基礎」が必修である必要があるのかどうかについては、恐らく意見が分かれるところだと思います。「選択科目として選択する必要のない学生さんだけが履修しないのならいいが、そうとは限らない」という、性悪説?的な見方も可能でしょうが、それは、ガイダンス等で十分に防げると想像します。理想論かもしれませんが、「情報活用基礎」で必要最低限の情報処理に関する知識を学び、更に突っ込んだ科目で、○○情報学に興味を持つ学生さんの知識欲に答える…そういう構図が、私の脳裏に張り付いているのです。

4.実際に講義を経験して

 近年、大学生の学力が低下しているということがしばしば話題になります。時には、それが事実であることが前提で種々の決定が為されることもあるように聞いています。しかし、それは果たして真実なのでしょうか?
 実際のところ筆者は、大学生の学力が低下していることを証明するデータにお目にかかったことがありません(いくつかのデータを見たことはありますが、それがとてもこの命題を明白に証明しているとは思えませんでした)し、少なくとも大阪大学においては、学力低下の兆候さえ感じられずにいます。否、むしろ、学力は向上しているのではないかとさえ感じています。
 例えば、20年近く前には計算機について教えようと思っても、聞く耳を持たない~場合によっては教えようとする側が反感さえ買ってしまう~学生さんがいました。もちろん、当時と今とで計算機システムそのものに大きな変化があるのですから、知識レベルに差があるのは当然のことです。しかし、それを割り引いてもなお、最近の学生さんの方が柔軟な頭脳を持っているように思えます。少なくとも、「低下している」はずはありません。
 筆者は、実は大学生の学力が低下していると言うのは幻想にすぎないのではないかと言う疑念を払拭できずにいます。私たちは、現在と過去の時間概念が入り乱れている、何か一種の共同幻想の中に居るのではないでしょうか?おそらく、情報処理教育に携わっている関係者は、そのことを最もよく体感しているだろうと信じます。筆者はもちろん、他の科目の教育にも携わっています。そして、学力の低下を体感できないと言う意味では、他の科目も大きく変わるものではありません。
 少し話がそれましたが、やや冗長に大学生の学力全般について言及したのは、筆者が実際に情報処理教育に携わって感じることの最たるものが、情報処理に関する基本的知識レベルが向上していることと共に、基本的知識吸収能力が向上していることだからです。先に「情報処理教育は難しい」と書きましたが、この新米講師が情報処理教育を行なうことを著しく助けてくれているのが、学生さんの知識吸収能力です。ひょっとしたら、この文章を読んで下さっている学生さんもいるかもしれません。安心してください。皆さんは掛け値なしに優秀です。皆さんにとって、コンピュータなど、赤子の手…は言い過ぎかもしれませんが、小学生の手を捻るようなものです。自信を持って情報系科目に挑んでください。

5.最後に・将来に向けて

 先述のように、次世紀を迎えて間もなく、すべての高校生が情報処理教育を受けてくる時代がやってきます。それでもしばらくの間は目立った変化はないだろうとも書きましたが、そのしばらくの間も終焉を迎えると、変化の時代がやってくるはずです。大学における情報処理教育の重点は、計算機や情報に慣れるというところから、各研究科における専門的情報科目の教育の方に移るでしょう。さて、その受け皿は私たち教える側に用意されているのでしょうか。ご承知のように、既に小中学校では移行措置期間に入っています。大学における情報処理教育をどう取り扱うべきなのか、まだまだ試行錯誤の日々が続くのかもしれません。
 最後になりましたが、情報系科目の講義、演習にあたって、サイバーメディアセンターの職員の皆様、SAの皆様には大変お世話になりました。特に、新システムの導入時のご苦労たるや、筆者の想像範囲に収まりきらないものがあるであろうと思いますが、その都度、丁寧にご指導いただきました。失礼とは思いますが、この場を借りまして、厚くお礼申し上げます。また、筆者と共に、「情報活用基礎」「情報系演習」で学生さんの指導にあたって頂いております先生方にも、筆者の未熟故、多々ご面倒をおかけしたと思います。筆者の至らない点につきましては、深くお詫び申し上げますと同時に、数々のご協力に関し、改めて、お礼申し上げます。
 情報処理教育は、恐らく最も歴史の浅い科目の一つです。だからこそ、まだ、私たちによっていろんな形に練り上げることを許されている部分が多いともいえます。今こそ、筆者を含めて、情報処理教育に関して熟考し、答えを出さなければならないときだと筆者は考えています。