センター報告
総務省戦略的情報通信研究開発推進制度
特定領域重点型研究開発(次世代ネットワーク領域)
ユビキタスインターネットのための
高位レイヤスイッチング技術の研究開発
長谷川 剛(大阪大学サイバーメディアセンター)
1. はじめに
本研究課題は、総務省戦略的情報通信研究開発推進制度特定領域重点型研究開発(次世代ネットワーク領域)による委託研究として、日本電気株式会社と共同で行っているものである。研究期間は2002年度~2004年度、委託額は2002年度が41,137千円、2003年度が18,460千円、2004年度が16,185千円である。
本研究課題は、ユビキタス環境における多様なエンド間データ通信の品質を現状に比して数倍向上させるために、ネットワーク内部に第4層以上のプロトコル処理機能を有する論理ネットワークの構築を実現することを目的としている。またそのために、上位レイヤプロトコル(TCP等)をネットワーク内部のルータで高速に、かつスケーラブルに処理する技術を研究開発する。その結果、高い付加価値を有するルータを実現し、わが国のネットワークノード技術の発展に寄与することを目標としている。
本稿では、本研究課題に関する研究背景、内容、これまでに得られた研究成果などについての説明を行う。
2. 研究の背景
本研究プロジェクトは、現在のインターネットにおいて広く用いられているTCP
(Transmission Control Protocol) およびその上位レイヤプロトコル、例えば、WWW
(World Wide Web) で使用されているHTTP (Hyper Text Transfer Protocol) をネットワーク内部のルータにおいて付加的な処理を施すことにより、エンド間通信における通信品質向上を目指すものである。その結果、付加価値の高いルータを実現でき、わが国のネットワークノード技術の発展に寄与することが可能になる。
高位レイヤプロトコルは一般にネットワーク外のエンドホスト(端末)でプロトコル処理を行うため、ネットワーク内の負荷は軽くなるというメリットがある。しかし、インターネットは、アクセス回線のブロードバンド化、モバイル化などさまざまな形態で用いられるようになってきているため、インターネット端末のすべてが同一のプロトコル処理、同一の制御パラメータを用いて通信することが最適ではなくなっている。そのため、異種環境を吸収するブリッジング機能がネットワーク内部に必要になる。最近、注目を集めつつあるCDN
(Content Distribution Network) もそのような機構を実現するものと見ることもできる。しかし、本研究では、そのような特殊なサーバの介在を前提とするのではなく、ルータの付加機能として実現するところが新しい。これは、次項に述べる「ネットワークのスケーラビリティの確保」とも関係するものであり、サーバの介在を許さないことによって初めて実現が可能になるものである。図1に、従来のアーキテクチャと、本提案プロジェクトにおける高位レイヤスイッチングアーキテクチャの比較を示す。

図1:高位レイヤスヤスイッチングアーキテクチャ
ユビキタス環境が実現されるようになると、ネットワーク上でのアクティブなコネクション数は膨大なものとなることが予想される。そのような環境においては、これまでの多くの研究にあったような、コネクション状態をルータで保持し、それに基づいた処理を行うことは不可能である。本研究プロジェクトでは特に、コネクション数に対するスケーラビリティを十分確保できる高位レイヤプロトコル処理をルータにおいて実現する。具体的には、コネクション数の変化に応じて、処理粒度を可変とするスイッチング処理の研究開発を目指す予定である。その結果、来るユビキタスネットワーク時代にもじゅうぶん対応可能な高品位スイッチ・ルータが実現できる。
以上の2点の実現によって、インターネット端末上でどのようなアプリケーションが用いられても、また、どのような通信状態であっても、ネットワーク内で上位レイヤプロトコル処理を含めたトラヒック制御を行うことによって、エンドホスト間に最適な通信環境を提供する、高位レイヤスイッチング技術が確立できる。図2は、高位レイヤスイッチング機能を有するルータを配備し、そのブリッジング機能を活用することによって、
| (1) |
ユビキタスアクセスのコネクションの粒度を粗くすることによって、ルータ処理の簡素化を実現できること |
| (2) |
モバイルアクセス、衛星インターネット経由のアクセスなどの異種接続を効率よく実現できること
などを示している。 |

図2:高位レイヤスイッチングネットワーク
3. 研究の内容
本年度の研究においては、主にTCPオーバレイネットワークの性能評価を、数学的解析・コンピュータ上のシミュレーション・実ネットワークにおける実証実験によって行うことを目標にした。また、TCPオーバレイネットワークを用いたトラヒック制御に関しても検討を行い、基本的な性能評価を行った。
3.1. TCPオーバレイネットワークの性能評価
3.1.1 数学的解析手法・シミュレーションを用いたTCPオーバレイネットワークの性能評価
これまでの高位レイヤスイッチングに関する研究では、無線ネットワークや衛星ネットワークなど、特殊な特性を持つネットワークを対象としたものがほとんどであった。そのようなネットワークにおいて高位レイヤスイッチングを行うことにより、性能向上が期待されることは過去の研究で明らかとなっている。しかし、本研究においてはネットワークに前提を置いていないため、一般的なネットワークにおける高位レイヤスイッチングの効果を確認する必要がある。昨年度までの検討においてわれわれは、TCPプロキシ機構を用いた場合のTCPコネクションの平均スループットに関する評価を行った。本年度の研究においては、TCPプロキシにおけるプロトコル処理速度の影響を考慮し、複数のTCPコネクションがTCPプロキシにおいて処理される場合のスループット特性に関して評価を行った。その結果、ネットワーク内で多くのTCPコネクションを分割してスループットが向上することにより、ネットワーク全体の輻輳レベルを押し上げ、結果として(1)既存のTCPコネクションのスループットを大幅に低下させる、および(2)コネクション分割を行ったTCPコネクションに関しても、これまでのスループット解析結果に比べて低いスループットを得ることが明らかとなった。これは、コネクション分割によるスループットの向上が、必ずしもネットワーク全体にいい結果をもたらさない、という新たな知見である。
さらに、そのスループット低下を防止する方法として、(1)特定のIPアドレスからのTCPコネクションのみをコネクション分割の対象とする手法、(2)転送されるデータサイズがある一定値以上のコネクションのみをコネクション分割の対象とする手法、(3)TCPプロキシノードのCPU負荷を監視し、高負荷時にはコネクション分割を行わない手法、の3つの手法を提案し、それぞれについて検討を行った。その結果、(1)および(2)に関しては、非常に有効な場合もあるが、一方でパラメータ設定が非常に困難であり、ネットワーク・トラヒック状況に応じて常に高い性能を得ることはできないことが明らかとなった。また、(3)に関しては、非常に簡易な方法できわめて高い性能を得ることが可能であることが明らかとなった。また、(3)を用いることで、ネットワーク・トラヒック状況に関係なく、TCPプロキシの効果を得ることができることが明らかとなった。
3.1.2 TCPオーバレイネットワークの実ネットワークを用いた実証実験
TCP オーバレイネットワークを構築するための基本的な技術要素として、TCP コネクション分割機構が挙げられる。TCP コネクション分割機構は、エンドホスト間に設定されるTCP コネクションをTCP プロキシにおいて複数に分割し、分割されたコネクションごとにパケットを中継しながらデータ転送を行うことを実現する機構である。昨年度から本年度における研究においては、TCP コネクション分割機構による効果を、シミュレーションや数学的解析によって示してきた。その結果、TCP コネクション分割機構を用いることにより、エンドホスト間にコネクション設定する場合と比較して平均スループットが向上すること、また、TCP プロキシが過負荷になることを防止することによって、ファイル転送遅延時間を短縮することができることが明らかになった。しかし、実ネットワークにおけるTCPプロキシ機構の性能は明らかになっていない。そこで本研究では、インターネット公衆回線を経由する実験ネットワークにおける性能評価実験を通じて、TCP オーバレイネットワークアーキテクチャおよびTCP プロキシ機構が、実ネットワークにおいても効果的であることを示した。
具体的には、実コンピュータ上に実装されたTCP プロキシを用い、図3に示すような大阪大学(大阪府豊中市)とNEC(神奈川県川崎市)間のネットワークを用いたデータ転送実験を行い、その性能を明らかにした。

図3:実証実験ネットワーク
一方、高速ネットワークにおけるTCP 性能の問題を解決するために、高速TCP と呼ばれる新たな輻輳制御手法に関する研究が近年盛んに行われている。これらの手法は帯域遅延積が大きいネットワークにおいて高いデータ転送スループットを獲得することができる反面、送受信エンドホストのTCP
を置き換える必要があるという問題点を持つ。しかし、TCP オーバレイネットワークにおいて、TCP
プロキシに高速TCP の機能を持たせることにより、送受信エンドホストの書き換えを行うことなく、高速・高遅延ネットワークにおいても高いスループットが得られると考えられる。そこで本研究では、TCP
プロキシに高速TCP を実装し、データ転送実験による性能評価を行うことで、高速TCP
の効果およびTCP プロキシ機構との組み合わせによる効果を明らかにした。
これらの実証実験の結果、TCP プロキシを用いることで、エンドホストのTCP の輻輳制御アルゴリズムやソケットバッファサイズを変更することなく、高いスループットを得ることができることを示した。また、TCP プロキシ間のデータ転送プロトコルとしてHSTCP を用いることで、ネットワーク遅延が非常に大きい場合など、従来のTCP Reno では十分なスループットを得ることができない状況においても高いスループットを得ることができる反面、パケット廃棄数や既存のTCP Renoコネクションとの公平性に関して問題が存在すること、われわれの研究グループで提案しているgHSTCP方式がそれらの問題点を解決し、HSTCP に比べて高いスループットと公平性を同時に満たすことができることを明らかにした。
4. 今後の課題
これまでの検討により、TCPオーバレイネットワークの効果、適切なTCPプロキシの配置などに検する重要な知見が得られた。また、その有効性を実ネットワークで実証することによって、本提案アーキテクチャの有効性がさらに高まった。しかし、これまで評価の対象にしてきたネットワークはすべて直線的である。TCPプロキシ機構、およびTCPオーバレイネットワークアーキテクチャは、図2に示すように、大規模なネットワークにおいても追加的にTCPプロキシノードを設置することによってその効果がさらに大きくなる。
そのためには、現在までの検討に加えて、より多くのTCPプロキシがネットワークに配置された場合の性能評価が必要となる。また、第4層でオーバレイネットワークを構築することにより、より高度なトラヒック制御を行うことが可能であると考えている。すなわち、近隣のTCPプロキシノード間でデータ転送によって得られたネットワークに関する情報(リンク帯域、利用可能帯域、プロキシ間遅延時間、パケット廃棄率、TCPスループットなど)を利用して、新たに設定されるTCPデータ転送コネクションを、どのプロキシを経由して設定すればいいかを動的に判断する手法である。これにより、ネットワーク状況の変化にすばやく対応し、データ転送プロトコルの視点からの最適なネットワークパスを発見することが可能となると考えられる。この手法は、その本質的な性質から、従来IPネットワーク上で提案されてきたRONなどのルーティングオーバレイネットワーク、およびアプリケーション層で構築されるオーバレイネットワークよりも高い効果があると考えられる。
このトラック制御方式の基本アーキテクチャは既に提案し、その基本的な性能評価はシミュレーションによって行ったが、今後の課題としては手法の洗練、およびより詳細な性能評価をすることがあげられる。
5. 研究成果
本年度の主な研究成果は以下の通りである。
5.1 国際会議発表
[1] Ichinoshin Maki, Go Hasegawa, Masayuki Murata and Tutomu Murase, “Throughput analysis of TCP proxy mechanism”, in Proceedings of Australian Telecommunication Networks and Applications Conference (ATNAC), pp. 341-348, December 2004.
[2] Ichinoshin Maki, Go Hasegawa, Masayuki Murata and Tutomu Murase, “Performance analysis and improvement of TCP proxy mechanism in TCP overlay networks”, to be presented at International Conference on Communications (ICC) 2005, May 2005.
5.2 国内学会発表
[1] 牧 一之進, 長谷川 剛, 村田 正幸, 村瀬 勉, “TCP オーバレイネットワークの性能解析および評価”, 電子情報通信学会技術研究報告(IN04-96), October 2004..
[2] 山崎 康広, 村瀬 勉, 長谷川 剛, 村田 正幸, “TCP中継における輻輳伝達制御方法と性能評価”,電子情報通信学会技術研究報告,2003年12月.
[3] 山根木 果奈, 浜 崇之, 長谷川 剛, 村田 正幸, 下西 英之, 村瀬 勉, “TCP プロキシ機構の実 ネットワーク上での実装評価”, 電子情報通信学会技術研究報告, February 2005.
[4] 浜 崇之,山根木 果奈,下西 英之,村瀬 勉,長谷川 剛,村田 正幸,“高速性と公平性を両立したTCP輻輳制御方式の実ネットワークでの実験評価”, 電子情報通信学会技術研究報告(IN2004-267), March 2005..